日本の方向を決める大事な選挙の投票率が戦後最低というニュースと、福島のほとんどの選挙区が原発推進の自民党を推したという事実にも増して僕が悲しいのは僕が読むようなサイトでほとんどの人が選挙に関して黙っていた。と言う事実だ。この場合僕が言っているのはブログであり、フェースブックであり、ツイッターだ。例えば僕が書かせてもらっているこのブログの参加者も311からもう二年も経とうとするのに原発に対して賛成、反対の意思表示をした人は2人だけだと思う。僕が311以降よく聞いた言葉は「自分にやれる事をやるだけ」とか「自分で判断しないと行けない時代になった」、それはYESなのかNOなのか分からない感想ばかりで、代わりに見るのは忌野清志郎の音楽ばかりだった。フライングダッチマンの曲はあまりにも生々しすぎたのかあまり見なかった。
僕たちはいい加減本音と建前の世界から出ないと行けない。それは伝統的な世界や特別な空間にとっておいて、僕らはそこから外に出ないと行けない。命なのか?金なのか?改憲なのか?護憲なのか?どっちかをはっきりと表明しないと行けない。それを外に対して表現して影響しあわないと行けない。みんなも実感として分かると思うけど一貫性が無いといじめられる。いつまでたっても二つ正解があるダブルスタンダードや、はいはい答えて後ろであっかんべーのYES BUT NOの世界に留まっていると僕らはつっこまれ、答えられない自分に嫌気がさし、いじけていき、酒を飲む事で現実から目をそらし、もしくはラブアンドハッピーとちゃかして逃げる事が常態化し、結果不満がたまり、子供に強くあたり、それが更にループになって下の世代への悪循環と続いていく。
反原発を早くから意思表示している城南信用金庫はそんじょそこらのロックンローラーよりもロックだし、ゲットーのCNNであるべきヒップホッパーよりもヒップホップだ。表現者が目の前の状況に対して態度表明しないというのはどういう事だ?もしいや違う、芸術活動を通して意見は述べているというのであれば、その活動をもっと目に見える形で発表しよう。周りの人達に色々な方法で影響を与えることができるフリーなはずの表現者達がしがらみに絡められて態度を表明出来ない世界はどんな不誠実な世界だ?
僕らの日本は右翼国家で原発推進国家になった。1週間の海外旅行でこの事実で苦しむ事は無いかもしれないけど、一週間のビジネストリップでは話は既に違うかもしれない。僕らは鎖国の世界で生きていない。地球上のあらゆる人達と関係しあいながら生きている。出来るだけ日本の外に出て客観的に自分の立っている場所を眺める事はこれからますます重要だ。客観視するためには他者との比較が必要だ。その比較の為にはぶつかったり触ったり角度を変えたり手探りが必要だ。日本のどこが長所でどこが短所なのかを分かりやすく説明出来るようにならないと行けない。それじゃークールジャパンって何なんだと言う事を言語化出来ないと行けない。それは自分と言う人間に対して問う事から始めないと行けない。自分の特徴は何なんだ?長所と短所は何なんだ?をはずかしげも無く他人に対して説明出来るようになる事からしか国を語るなんて事は出来ない。
それでも311以降気持ちを同じにする今までは関係の無かった人達とつながれたり、意見交換をすることができるようになったのは素晴らしいし、とても小さい世界だったことが今回の選挙でまざまざとわかったフェースブックやツイッターの世界で刺激的で有効な情報を収集する事が出来るようになったのは大きな収穫だったと思う。僕らはこれからもっと正直にオープンに恥ずかしがらずに意見を交換しあわないと行けない。もっと日常的に政治を話し合えるようにならないといけない。分からないんだったら分からないって所から始めないと行けない。もっと社会と関わって30年後の子供達の世界を想像しないと行けない。そう言う場を作らないと行けない。そうやって民度というのを草の根から育てていくしかない。
自民党のHPに行くと政策をPDFでダウンロード出来るからそれをプリントアウトして友達達と読んで意味を確認してみると良い。もしくはこの戦争の作り方を読むと良い。それでも国民はそんな政党に4年間のチャンスを与えた。沢山の人が棄権した。この事実と僕らは真っ正面から向き合わないと行けない。恥ずかしがってる暇はない。これから目を光らせてことあるごとに意見を言い、右翼政党と極右政党の暴走を止めないと太平洋戦争で国によかれと思って死んでいってくれた人達に対して申し訳が立たない。彼らの死を犬死ににしては行けない。
素人のくせに、とか、どれだけそれに対して知識を持ってるんだよ?とかで議論の芽や意思の表明を摘んだり殺したりしちゃ行けない。レコード1枚しか持って無くったって堂々とボブマーレーが好きだと言えるような環境にしなけりゃ行けない。僕みたいな何者でもない者が政治に対する意見を臆する事なく言えるような環境にしないと行けない。自分たちで自分たちの首を絞めては行けない。知恵の発展を遅らせたり阻害する事は犯罪だ。
そして最後にぼくはこれでこのブログで何かを書き込む事を止めようと思う。正直な所、同じ意識や志を持った人達と刺激を受けたり与えたりしながら僕は生きていきたい。そして自分を高めていきたい。それは実社会だけじゃなくてネットでも同じだという事を理解してくれると信じている。今までどうもありがとうございました。文章を書く事は自分の考えをまとめる上でとても為になったし、検索すると昔の写真が出て来るのは日記としてとても嬉しい事だった。願わくばアーカイブをデータとしてとってくれると嬉しいです。
あとどれくらいか分からないけど、また別の場所でブログを開始すると思う。もし興味があったらyoske nishiumi, 西海洋介で検索するか、koiklub.deでちょっと時間を置いてから見てくれると多分また会えると思います。そして今日はベルリンの日本大使館で日本の新政権にフクシマ原発の特に4号機の危険性を指摘し、周辺汚染地域からの避難と移住を促す要求書を届ける集会がある。僕はこれに参加しようと思う。
生きている限り続きます。もっと旅に出よう。もっと本を読もう。テレビを捨てよう。過度な便利はなるだけ避けよう。極端な安価は疑おう。食べものをもっと意識しよう。本物に触れよう。夢を語ろう。お互い有意義に生きていこう。
西海洋介